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2014-04-08(火)
さて

まただいぶ間が空きました。

前回の日記に書いたことに進展がありました。

多分、ADHDじゃないの?という仮説が立ちました。

症状がドンピシャです

・仕事などでケアレスミスをする
・忘れ物、なくし物が多い
・ 約束を守れない、間に合わない
・時間管理が苦手
・仕事や作業を順序だてて行うことが苦手
・片付けるのが苦手

あくまで一例ですがほぼ全て当てはまります。

なーんかおかしいぞ?と長年思っていたのですが、頭の病気だったのかもしれません。


なーんかおかしいぞ?とずーっと思っていたのです。

自分に欠点は多々あれど、治そうと努力はしてきました。

いくら頑張っても動かない重たい何かがある。

この話をするとだいたい、そうやってまた何かのせいにして自分を正当化したいだけだろ、と言われてしまいます。

バカ野郎。

自分なりに苦しい思いをして導き出した結論だ。

この年になるまで、ただ指をくわえて自分の欠点を傍観していたとでも?

やりたくてやってるわけないだろう。

これは病気だと仮定するに致るまでどれだけいろいろ考えて、いろいろ試して、人に相談してきたことか。

病気のせいにするところまで追いつめられている。

もう、後がないんですよ。

それにもし、本当にADHDだったとしたら?

とんでもない足かせをつけられたまま、こんなに歩かされてきたんだ。

バイト先に、親に、先生に、友達に、散々せっつかれてバカにされて比べられてコケにされて、それで今までやってきたんだ。

もしそうだと診断されたらその瞬間その場の破壊できるものを悲しみのあまり破壊しまくって大暴れするかもしれない。

こんなことを言ってる時点でやはり精神が正常ではないのだろうけど、なんでよりによって自分がこんな仕打ちを受けてきたのか、そんな状態だと気づけずに普通の人が1の努力でできることを10の努力(しかも間違った方向の)をしてその上満足に達成できない、そんなクソみたいな人生を歩まされていたのかと思うとやり場のない怒りで正気を失ってもおかしくないのでは。


ただし、もしそうだと診断されたとして、それでどうなるか。

治療して治るとしたら、治すべきか。

ここにきてそんな迷いがあることは変かもしれないけれど、長所と短所は表裏一体。

考えが浅はかで無計画だからこそやってのけて、うまくいったことたくさんあるんじゃないか。

10月の富士山に野宿で登り
マンションの屋上でキャンプをして
学校で焼き肉をして、映画鑑賞会を、して
放置されたボートで川下りをして
大瓶220本も集めてビール風の飲み物を醸造して
廃墟探索やら心霊スポットめぐりやら


いわゆる普通の人ならやらないことをたくさんやって楽しい思いをたくさんしてきた。

短所がいい方向に働いたことたくさんあったじゃねえか。

それも含めて「東優也」なら、治療で克服しちまったら俺は誰様なのだ?


そうして治療して、普通の人になったとして、普通に就職活動して普通に働いて普通に結婚して、なんだ?普通の生き方?

そうまでして普通の生き方、したいかな。

普通の生き方無理にしようとするから苦しくて自殺まで追い込まれるんじゃねえのか、もっと生の自分でのびのびとやっていける生き方あるんじゃないのか?

それを探すことって就職活動なんかよりも遥かに価値あるんじゃないの?




と、これだけ言っておいてなんともなかったら笑える。

まあすべては今週わかること。



だから今週病院に行ってハッキリさせます。

もし仮定が正しかったなら、治療を受ける。違うなら甘ったれていただけだ。

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