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2012-01-17(火)
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1/4

お正月の関係で親族が、母方の実家に集まった。

おじいちゃん
おばあちゃん
おじちゃん
おばちゃん
いとこ♂
いとこ♀
おかあちゃん
おとうちゃん
弟。


その日は、お正月帰省関連の最終日だったから、その日でお別れだった。


おじいちゃんの運転で、俺、おとうちゃん、おかあちゃん、弟は駅に向かった。

おばあちゃんは家に残るけど、車が曲がり角に差し掛かって見えなくなるまで、お見送りをしてくれた。

俺はずーっと手を振った。お別れになるから。


それから、駅について、おじいちゃんは、車に乗っていた俺らをおろした。

おじいちゃんにも手を振った。お別れになるから。

そうして、電車にのって、まだ大阪に滞在する弟・おかあちゃんと、もう静岡・神奈川に帰る俺・おとうちゃんは、どっかの駅で解散した。

俺は弟・おかあちゃんが見えなくなるまで手を振った。お別れになるから。

そうして、新大阪駅の、それぞれ違う新幹線に乗る俺とお父ちゃん。

握手して、お別れした。お別れになるから。




そうして新幹線に乗って、家についた。


翌、1/5

バイトの用意をした。


バイト中に、お別れが辛くて、何度か、泣いてしまった。もちろん、誰にも気づかれないように。

そうしていつもの仕事が終わって、お客さんがみんないなくなったから、キッチンハイターみたいなやつと、トイレの洗剤のサンポール、それからカッターを買った。


いつもお世話になってるバイト先のボスに、お疲れ様でした、っていつものように、だけど心をこめて挨拶した。お別れになるから。

それから、またいつものように、バイト先の仲間と自転車でしばらく一緒に帰った。

パチンコ屋の交差点でいつもお別れ。

その日も。

だからしっかり、気合いいれて挨拶みたいなのをした。お別れになるから。




それから自宅に戻って、すぐに、カバンの中にいろいろ詰め込んだ。


小中高卒業アルバム
記念の写真
プリクラ
手紙
思い出のカバン、アクセサリー
昔書いてた日記(紙の)

など。


全部入れると登山用のバッグがいっぱいになるぐらいだった。それと、さらに肩掛けバッグがいっぱいになった。

めちゃくちゃ重かった。

20kgは絶対あった。

それからコンビニに行ってお酒を買い、海に向かった。


浜に打ち上げられた流木を集めて、ZIPPOのオイルをぶっかけて、火をつけた。

簡単に、たき火は出来上がった。これは大学に入ってから友達といつもやってることなので、簡単。


そこに、持ってきた、思い出の品を全て放り込んだ。


全部、全部。

何もかも、燃やした。

放り込む前に、一つ一つみてた。


ああ、こんなこともあったなあ。


って。


懐かしい、いい気分だった。

ウィスキーも、750mlビンの半分ぐらい飲んで、いい感じ酔ってきたころ。

全て燃やした。


そうして俺は、何を思ったか、神に祈った。


盗みもした
セックスもした
人を騙して
傷つけて
親に迷惑ばっかりかけて。

神にお祈りするような人間じゃないね、それは重々承知。

でも、必死で何かに祈った。祈る、っていう言葉の意味を初めて知った。


もし神様、なんでもいいからいるのなら、生きる目的を下さい
道を示して下さい。

って。


でも、もちろん、何の反応もない。ああ、いねえんだな。




酔っ払ってたのもあるかな?

でもあのときの必死な気持ちだけは今でも思い出せる。




よし


じゃあ、そろそろだな

って思って

ヘッドホンをつけて、アヴリルを流した。アヴリル。最後の最後まで俺の大好きなアーティスト。


そうして、mixiにこんな日記を書いた。





いまから、この日記を投稿したらすぐ自殺します

紙に書いてもいいけど字は下手だし、紙の遺書は読める人が限られます。




自殺の理由は言わないでおきますが辛いからではありません。むしろ幸せです

しかし自分の自殺がみんなに悪い影響を与えないか心配です。




みんな、ありがとう。みんなというのは、いままでかかわったすべての人。

誰も憎まず死にます。

ごめんなさい。でもこうするしかない。

みんな大好きです。

ごめんな。

ごめん。

迷惑かけてごめん。

悲しませたらごめん



ごめん



個人的な思いでの品を全て焚き火に放り込み終わりました


卒アル
団旗
手紙
プリクラ
文集
大事な鞄
ノート
パソコンのHDD(笑)
写真
小学校卒業のときのオルゴール箱


など、ありとあらゆる全て。

オルゴール箱はぜんまいを巻いて火に放り込んだがなかなか面白かったわww

綾瀬市立天台小学校の校歌を刻みながら、プラスチックの筐体が燃えていき、だんだんテンポがゆっくりになり、消えてったw




どんな大事なものも燃えちまえば全部灰です

どんな素晴らしい人も、クズみたいな人も、死ねばただの死体です



俺はあなたにとってどういう人でしたか?







おかあちゃん、お父ちゃん、せいや、みやじまのおばあちゃん、おおさかのおじいちゃんおばあちゃん、しゅんちゃん、なほちゃん、えいすけさん、けいこさん、九州のじいちゃん、たまえおばあちゃん、よしえねえちゃん、テフンさん、ジュアちゃん


みんな大好きです。ごめん、でも行かなきゃいけない


本当にごめんなさい


できるだけ迷惑のかからないしにかたをえらびました。



本当にごめんなさい


こんなに申し訳ない気持ちは初めてです

20年、短い間でしたが幸せでした。

ごめんなさい。

本当に、誰のせいでもありません。悪いのは全て自分です。

辛い気持ちで死ぬわけではありません

いつものようにアヴリルを聴いて、たばこを吸って、お酒を飲んで


死にます。

誰も恨みません、呪いません。霊体化できたら、みなさんを見守り、必ず手助けします


みなさん、幸せになってくださいね


辛いときでも俺が一緒です。助けます。

俺が一緒です、思い出してください。おっぱいがどうのこうのばっかり言って、いっつも酒のんで、そんなに胸を張れるほど立派な人間じゃないけれどさww



みんな、俺を嫌った人も含めてすべての人が幸せになれますように。


常に自分の胸にきいてください

何かするたび、声に出していってみてください

これ、やっていいの?ほんとに?正しいの?


って。


自分のなかで答えがでないなら答えが出るまで他人に相談してください。

少しでもためらいがあるならやめなさい。

そういう生き方をすれば後悔はありません。

それを実践しなかったからこそ、死ぬときになってその大切さがわかりました

命を捨ててまで訴えたいことはガチでそういうこと。

優也、死ぬけど、それ無駄にせんといてな。


昨日(5日)、バイト中、売り場何回か泣いちゃった。

なんでだろう


まあ、唯一悔いが残るとすれば、ジャックダニエルじゃなくてトリス(笑)で酔いながら死ぬことだろうなw



ごめんな


それでは、また会う日まで。




これを書くのにもまた時間がかかった。

それから



ビニール袋の中に、サンポールと、キッチンハイターみたいなのを入れた。


混ぜるな危険


混ぜた。




袋を口に当てて、おもいっきり吸い込んだ。


めちゃくちゃ咳き込んだ。


息ができない。


喉、肺にものすごい刺激があった。お酢の匂いが強烈になったような。


文字通り、砂浜をのたうちまわった。


ただただ、苦しかった。


そうしてるうちに友達から電話があった。


mixiの日記を見たようで。


まあ、生きてる間ぐらい、話しようかと思って電話にでた。

「なにやってんの?大丈夫?」

返事をしようとしたけど、したのかもしれないけど、咳混みすぎて息をするのがやっと。まともにしゃべれる状態じゃないな、と思って、電話を切った。


そうして、這うようにして、塩素ガスの出ている袋のところに行った。

もう一回、思いっきり吸った。


やっぱり苦しかった。すでに息はできなかったけど、もっと息ができなくなって、いよいよ意識が遠のいていった。


「ああ、死ぬんだな、やっと。これでいい。それにしても、死ぬのも楽じゃないんだな」














パッと、気がついた。


朝だった。




焚き火の火は消えて、煙がくすぶってた。


よく、意味がわからなかった。

確かなのは、めちゃくちゃ寒いこと、それから、息がまともにできないこと。


這うようにして、必死で流木を集めて、まだ少し火がある灰の山に放り込んだ。

そのときだけは暖かかったけど、それ以上集める体力は残ってなかった。

とにかく寒い、息ができない(少しはできる)




だんだん、気づいた。


生き残った・・・・




ふと、そんな俺のよこを釣り人が通った。


「寒いねー」




どうしてかわからないけど、俺はその人に、助けて、救急車を呼んで下さい


って、塩素ガスでただれた肺から振り絞るように声をだして懇願した。

けど、無視された。


今思えば、生きたいって、思ったのかな?よくわからん。



そうして、よろよろと、自分のケータイを探して、まず、mixiに載せた遺書を消して、119番通報した。

「119番緊急通報です、どうされました?」

みたいに言われたと思う。

どう答えたかは忘れたけど、自殺に失敗したことはそのときはっきり告げた。




15分ほど待つと、救急隊と警察が来てくれた。

「なーんでこんなバカなことした?」

って聞かれたけど答えられなかった。


それから、担架で救急車の近くのストレッチャーまで運ばれて、それから救急車に乗り込んだ。

血圧やら体温やらを計測されて、そのときはまだ飲んでた酒の二日酔いもあって、吐いてしまった


搬送先の病院を無線のやりとりで決定した救急車は、どこに向かってるのかはしらないけど、どこかの病院に運ばれた。


父から電話がかかってきた。


「優也、おはよう」

父は、俺が何をしたのかしらない。

ただ、それまで昼夜逆転のめちゃくちゃな生活を俺がしてたもんだから、しっかりやってるか確認の電話のつもりだったらしい。

俺はそれにうんざりしてた。父が嫌いなわけじゃあ、ないんだけど。

何もしらないで、いろいろ、部屋の片付けはどうだとか、聞いてくる父に耐えかねて、自分がしたことを全部話した。

しばらく間が開いて、

「それ、ほんまなん?」



「うん」



「・・・わかった、今から行く」




それから、点滴の針を刺されて、寝た。


起きたら父がいた。

何を話したかは覚えてない。


バイト先の社員の人も二人来た。心配してくれていた。

けど、意識が朦朧としてて、よくわからなかった。

そのときは、とにかく、酸素チューブで息をするのに必死だった。


レントゲンを撮ったりして、気がついたら弟とお母さんもいた。


やっぱり、よくわからなかった。


よくわからないまま、入院が決まって、病棟にうつされた。


そうして、母が残って、その夜は寝た。

この時点では、やはり息がまともにできず、仰向けに寝ているしかなかった。トイレに行くのはもちろん、立ち上がることも、座ることも、苦しくてできなかった。



1/7

ようやく、悪い頭がまあまあ物事を考えられるようになった。



失敗した。


成功するか、直前でビビって辞めるか

そのどっちかだと思ってた。

そうしたら、なんと生き残ってしまった。そして自分のしようとしたことは広くしられてしまった。




意識がはっきりしてくると、自分がいま、苦しいということがとても苦痛だった。


治るの?これ。普通に息できるようになるの??



良くなってる気がしない。二日目も、赤ちゃんのおまるみたいなのをナースコールで運んできてもらって、ありったけの力を振り絞ってそこで用を足す状態。

ベッドに戻るのは自力でできるが、それだけで、長距離走を全力疾走したかのような疲労と息の苦しさ。


こんな状態なら、死んだほうがよかったのに。



いざとなったら、この点滴のために刺さってる針を、肘の裏にある太い血管に刺して、血を抜ききって死のう。最初からそうしていればどれほどよかったか・・・

なんてことを考えるようになった。

けどそんなことを考えているうちに、だんだんよくなっていった。


1/8

イクヤが来た。

はるばる、神奈川からバイクで来てくれた。

電話では、イクヤに怒られた。

イクヤとはいつもするような他愛のない話をした。



イクヤが来る直前から、入院して初めて、歩いた。


歩いて、トイレに行った。初めて、自分の病室の外がどうなってるか把握した。

それでもやっぱり息は苦しかった。



そうして、こりゃいけるんじゃねえか?って思ってたら


退院できた。

イクヤは帰った。



まず、母と一緒に、俺のアパートに行った。

俺のアパートの私物は、ある程度、父と弟が整理してくれていた。


必要なもの・・・服などを、焼かなかったカバンに詰めて、清水駅に向かった。

清水駅には父がいて、母と父と、3人で、神奈川に帰った。




それから、成人式の日だったり、精神科・心療内科・保健衛生センター・などなど、行かされた。

俺が行こうと思ったわけではないから、どうされました?って聞かれても答えることができなかった。


結局、二種類の薬が出た。

溜まったストレスを放出して安眠できるようになる、荒れてる心を穏やかにする、精神状態を普通にする・・・そういう薬。

病名は言われなかったけど、うつ病の人に出す薬みたいだった。






さて、今日帰ってきたばっかりだったけど、九州の一人暮らししてるおじいちゃんの家に、3泊4日で行ってきた。

おじいちゃんが住んでる家は、おじいちゃんの友達に借りてるところだったけど、その人はもうその家を他の人に貸すから、おじいちゃんに出て行って欲しいと。

しかし、おじいちゃんが出ていかなくて、ボケも結構進んでるから、ということで、手助けに行った。


けど、あまり進展はなかった。

そのおじいちゃんと離婚して、今は一人で暮らしてるおばあちゃんの家にも行った。そのおばあちゃんの前の夫との間の娘(32ぐらい)とその娘(1)にも会えた。

けど、怒鳴りあう、父とおじいちゃん、ホコリをかぶって壊れた、おじいちゃんの成金チックないろんな品物(昔から知ってる)・・・

見たくないものをたくさん見た。



それで、帰ってきた。行ってよかったとは思うけど、精神の治療という観点では最悪の旅だった。








結局のところ、俺はなんで死のうと思ったか?


っていうと



大学に行きたくなかった。大学が嫌いだった。

でも親は俺を大学に行かせようとした。




だったら、お金をためて、静岡から引っ越して、全く新しい自分だけの生活を始めようかとも思った。




けど


そんなことをしてまで、俺はやりたいことなんてなかった。



だったらさ、

もう今までの思い出だけで満足して、楽しかったんだから、それでもう、終わりにしよう


そう思った。





生きててよかったかはまだわからない。この先、また自殺するかどうかも、わからない。

どうでもいい。

俺は穏やかに生きたいだけ。


とりあえず、1ヶ月は薬を飲んで、穏やかな生活を送って、精神を療養するように、精神科医には言われてる。


その後のことは、その治療が終わってから、決めよう。・


有り余ってる時間を使って、曲を作れたらいいなと思います。




とにかく


先のことは


わからん
しらん
どうでもいい

Wakaran
Siran
Doudemoii

WSD

です。


では。
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