〜溢れ出る想い〜 つぶやききれぬ想いが今ここに爆発する。 己の謎を己で解き明かす・・・ 人間とは何か? 謎のド素人とは何者か? 生きるとは? まだ 誰も見たことのない 高みへ・・・ 2023-06-05(月) 九十九 vs ジャージーロマン こんなニュアンスもつぶやきのなかに登場さしてきたと記憶しているのだが、この戦いの中にこそ生きることの意味が凝縮されている気がしてならないのである。 物語としては、この戦いこそ陸奥圓明流の求めていた決戦とも言えなくもなく神を名乗るジャージーロ―マンと千年ものあいだ神にケンカ売ってる一族の陸奥との世紀の大決戦と言ってもおかしくはないモノだと考えている。 それはボクシングの試合での一幕なのだがジャージーローマンの望んだ戦いでもあった。この試合の前の試合での反則負けの判定を受け出場できないと思われた九十九との戦いを強く望んだジャージーローマンはその試合の直後、熱い想いを観客にぶつけ観客の希望も熱い想いに応える形で実現の運びとなったこの決戦。 観客の気持ちを揺り動かしたジャージーローマンの熱い想いも凄かったのだが、これに勝るとも劣らぬ九十九の想いにも感動を覚えた。 神vs修羅を描いてるようなこの作品は人間(ひと)と神(大自然とも捉えられる)との壮絶なドラマを思い起こさせるようにも感じられ人間(ひと)の可能性は無限大であることに気づかせてくれるのだ。 結果、人間(ひと)の想いの力は凄まじく神にも成り得る存在なのだと思い知らされたようなもので、ひとつの想いを絶えず持ち続けることによって奇跡は生まれるのだということを感じずにはいられない。 『方法がひとつだけある』 『方法はひとつしかない』 どちらも同じ意味だと思わせてくれるのもこの試合ならでわと言え、まさに継続は力なりをうまいこと表現した作品だと感じているのである。 神の声が聞こえるジャージーローマンとの試合に内なる心の声に従い決戦に挑む九十九。外から聞こえる声は総て錯覚であるかのような捉え方は自分(ひと)の人生を生きてく上で最も必要な感覚と言えるのだろう。 生きることの意味なんて、人それぞれ違っていて然りなはずなのだが人間ってヤツはどうしてこうもひとつにしたがるのだろうか。 本来、意味など無いに等しい生きるとゆう行為に深い意味付けをしてゆくのが人間(ひと)の使命なのだとしたら総てが発展してゆけるような意味付けをしてこそ人間味豊かな世の中になってイくのではなかろうかと思う次第である。 それが、認め和える社会なのか・・・ いい天気だね♪♪ こんな日は散歩でもしようかな。 そんな先週の刻・・・ 謎のド素人さん 今、生きていることこそ奇跡ではなかろうかと思っているのだとか・・・ 人間(ひと)なんだよなぁ。 「九十九 vs ジャージーロマン」へのコメント コメントはありません。 コメントを書く [*最近][過去#] 分類してみた |