〜溢れ出る想い〜
つぶやききれぬ想いが今ここに爆発する。
己の謎を己で解き明かす・・・
人間とは何か?
謎のド素人とは何者か?
生きるとは?
まだ
誰も見たことのない 高みへ・・・
2024-03-22(金)
察する文化・・・
そんなニュアンスも謎のド素人のつぶやきには何度となく登場さしてきたような記憶(おぼ)えも存在(あ)るのだが、善くも悪くもこの国らしい文化であることに思いを馳せてみれば、現代人が忘れてしまっている感覚がそこには存在(あ)ると感じている我が存在(い)る。
島国ならではの感覚とも言えるかもしれないそれは、他人(ひと)を思いやる心から来るものであることを踏まえると、人間(ひと)の気持ちの根源を昔の人々は察知する能力に長けていると捉えることができ、その原理を紐解いてみれば、観察眼が発達していたのかもしれないと感じるのだが、昔の人々ほど周りのちょっとした変化によく気がつき、直ぐ様その変化に対応できていたとするならば、自分(ひと)がそれに関連することを自ら学び感じ取ってきたと言っても過言ではないのだろう。
察するためには、それ相応の経験を積んでいなければ難しいと捉えると、己に関係のないと思えることにも興味を持ちある程度は学んでゆこうとゆう姿勢がなければとても察することなんてできないと考えられ、教わるよりも学んできた昔の人々は、自ら新しい何かを生み出してきたと言っても過言ではなく、周りと一緒の思考だけでは察する行動は身に付かないのであれば、自ら学んでゆく姿勢で身に付けていくのも善さそうである。
察する文化は、周りの状況や情況がしっかり把握できていなければ成り立たないことを踏まえると、どんなときどうなりがちでどんな気持ちになるのかを身をもって体験してゆかなければ、どうあがいても察しようがなく、そういった意味では昔の人々は超能力に近い感覚を持ち合わしていたのかもしれないと捉えると、全体を見渡せるような広い視野や他人(ひと)の身になって考察する思考やバランスの取れた行動が人間(ひと)の潜在能力を引き出す助けになっていると言えるのである。
思うに以心伝心とゆう表現は、その察する文化から出来上がったのかもしれない。
ただ古き善き時代のこの国の風習だとも言え、言葉にしないだけに勘違いやスレ違い、食い違いなども起こりうることを考えれば、言葉にして確認することも大事だと言えるのである。
言葉にするのも労力を使うもののひとつなのだと捉えると、どちらも人間(ひと)の能力(ちから)だと言うことができ、時と場合によって使い分けられるようになってゆけたら人間(ひと)は更に進化してイけると言っても過言ではないのだろう。
察することも言葉にするのも
特殊技能 か・・・
なにげに
反応速度零の領域と言えるモノか。
本日訪れたここでは、最終日を迎える再開されたイベントに参加する輩が楽しげに言葉少なに動きに合わして魅せせる姿を披露して、道行く人々を喜ばせながら本当に楽しくなっていたそうである。
生きてく秘訣 か・・・
そんな昨日の地。
謎のド素人さん
この国独自の察する文化は学ぶ姿勢があってこそだと思ってる節が存在(あ)る。
周りの動きを知らないと
察することも出来やしないんだって♪
傷つき、そして、学んでゆこう。
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