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恋する動詞111題/17.自惚れる





なんだかよく分からない。

それが最初の感想だったが、最近はそれも通り越して不安になって来た。だってこんな扱いを受けたら、誰も例外なくそう思うだろう。

例えば廊下で後ろ姿を見かけた時、例えば軍師殿から仲介を頼まれた時。特に用件のないものから作戦の一環としてまで幅広いケースがあったが、そのどれもで彼の態度は一つだった。


「あ、趙雲殿、

「はいぃッッ!?」


………。
今俺、何かしただろうか。


「…えと、」

「い、いえあの、すみません!」


何故か謝られて(俺が何もしていないのは明白だが、彼だって何かした訳ではない)、大量の汗をかいた趙雲殿は取り繕うように堅い笑顔を見せた。かなり無理している事が窺い知れるその表情、なんだか此方が悪い気がして仕舞うのは必至である。


…ただ呼び止めただけなのに。
もしかして、彼を呼んだ声があまりにも無愛想だったか?と思っだのだが、他の人間はそんな事気にも留めていないし、というかそれが普通だと思われているようだった。
この前至極優しい声色を使ったら、張飛殿に「お前熱でもあんのか?」と心配されて仕舞ったぐらいだ。甚だ失礼な話だが、つまり俺は間違っていないと証明出来ただけでも有り難いと思っておこう。

しかしながら、そうなると原因が全く分からない。分からなすぎて普段の趙雲殿をこっそり観察してみたのだが、俺以外の人間には後ろから呼び止められても平然としていた。まあ、全身胆とか言われるぐらいの男が小心者な筈がないのだが…いやしかし、そうすると矢張り問題は俺にある訳で。


「もしかして俺、知らぬ内に失態を…」


有り得る。
元来人の目など気にしない己だ、公共の場で何かとんでもない事をしでかしたりとか…心当たりは全くないが…、酔いに任せて嫌な感じに絡んだりとか…直ぐ酔う体質ではないし、例え酔っても記憶を無くした事なんてないが…、あったに違いない。
どうしよう。それなら一度ちゃんと謝らなければ。


「あ、」


と。
歩いていた廊下の先、丁度角になっている所に見覚えのある黒髪が佇んでいた。何かを考えているのか真剣な表情だ、邪魔しては悪いかな、と思ったけれど善は急げと言うし。
ただ、また警戒されるのも嫌なので、今回はあまり近付かずに呼んでみよう。


「ち、趙雲、どのっ」

「!!」


途端、この距離でも分かる程ぎくりと飛び上がった彼。がばりと顔を上げ俺を視界に捉えた瞬間、遠目で見ても分かるぐらいに動揺していた。
ああ貴殿はそんなに俺が嫌なのか…なんだろう、無性に悲しくなってきた。ていうかこんなに嫌がられるって、趙雲殿に一体どんな事したんだよ俺…。


「ば、ば、馬超殿っ!あの、えと、ご機嫌麗しゅう…!」

「……」


必死に会話をしようとして、意味不明な事を言ってくる彼がいっそ哀れに思える。本来なら笑顔が柔らかくて皆に好かれる御仁なのに、今目の前に居るのはその笑顔さえまともに出来ていない趙雲。
こんな優男に無理をさせるぐらいなら、もうこの関係をぶち壊した方が良いのかもしれない。主に絶縁という方向で。

…本当は、ちょっとでもいいから仲良くなりたかったんだけれど。残念だが諦めるしかなさそうだ。


「…趙雲殿、すまなかった。もう無理しなくて良いぞ。」

「え?」

「自分を偽るのはもう嫌だろう?俺だって、そんな貴殿は見たくない。」


そんな事を言われるとは思っていなかったのか彼は心底驚いた顔をしたのだが、意味を理解した後は一転して真剣な表情になった。声を掛ける前のような、少し近寄り難い感じの。


「偽ら…なくて、良いのですか…?」

「!……ああ。」


矢張り、偽っていたのか。

そうだろうと覚悟していたのに、いざ本人の口から言われると結構辛い。耐えられなくて彼に見られぬよう溜め息を吐いたその瞬間、ふわりと両肩を掴まれる感触。なんだと顔を上げたら、趙雲の顔が近距離にあって息を飲んだ。


「馬超殿、私実は……いや、その前に聞いた方が良いか…
 貴方に一つだけ聞きたい事があるのですが、宜しいですか?」

「あ、あぁ、良いぞ。」

「貴方は、その…私の事を、どう思っていますか?」

「…どう?」


質問の意味が分からず、首を傾げる。
どう、とはなんだ?優しそうとか強そうとか、そういう事を答えれば良いのだろうか。


「わ、私の事が…好きか、嫌いか…」

「え、」


…好き嫌い??
ちょっと意外な二択に数秒止まって仕舞ったが、真面目に頷く姿からしてどちらかを答えたら趙雲殿は気が済むらしい。

うーん。
まあ、趙子龍と聞けば一番に思い付くのが長坂の英雄である。その身一つで主君の子を守る強さ、それでいて物腰の柔らかい態度と謙虚さ、誰にでも分け隔てなく優しくて、更に言うなら美形で格好良い。

つまり武芸も性格も容姿も、全てを兼ね備えた人間なのである。そんな彼を間違っても嫌いになる奴なんか居ないだろう、勿論俺も含めて。


「好きだぞ。」

「!!!!」


そう素直に答えたら、空を飛べるんじゃないかと思う程趙雲殿の身体が跳ねた。
あれ、俺何か変な事言っただろうか。


「ほっほほ本当ですかッ!?」

「当たり前だろう?貴殿のような誠実な御仁、嫌いになる筈がない。いや、寧ろ好きにならない方がおかしい。
 こんな俺に優しくしてくれて、いつも気遣ってくれて。ちょっと恥ずかしいけど、でも嬉しかったぞ。」


…それが今では避けられている訳だが。
語尾の過去形が悲しく響いて辺りに消える。それでも、自分は嫌っていないと告げられただけマシなのだ、悲観的になる事はない。
が、しかし。


「馬超殿……ッ」


目を細めて俺の言葉を聞いていた趙雲が、何故かぷるぷる震え出していた。握り締められた拳には相当力が入っているのか、ぷるぷるを通り越してわなわなしている。

――やばい、殴られる。

何が原因かは分からないけれど、俺はまた失態を犯して仕舞ったらしい。穏便な筈の趙雲殿は今や顔を真っ赤に染めていて、多分言い訳をしても許しては貰えないだろう。
引きつった表情の彼が手を上げ、次に来る衝撃を予想し咄嗟に奥歯を食いしばる。痛いのは嫌だ、だからどうか、趙雲殿が手加減してくれますように。そう目を瞑った時だった。


「馬超殿っ!!私も好きです!!」

「ぐッ…!   、えっ?!」


…え、?好き?
思わず何がと聞き返したくなるぐらい予想外の科白を言われ、素っ頓狂な声が出た。
何?趙雲殿は何が好きだって?しかしその答えも出ない内にそっと頬を包まれ、潤んだ瞳が俺を捉えて仕舞えば視線を逸らす事すら不可能だ。


「私も、貴方の事がずっと好きだったんです!凛としていてお強く、どんな時も御自分を貫いていらっしゃる馬超殿が!!」

「え、え??でも趙雲殿、いつも俺のこと避けて……」

「そんな事!あるわけないじゃないですかッ!!ただ、貴方を目の前にするとちょっと緊張して仕舞って…それはその、すみませんでした…」


緊張。今更俺相手に緊張なんて…と思ったが、頬に触れている指先が小さく震えている事からして本当のようだ。
…緊張…そうか、緊張か。
じゃあ俺は、趙雲殿に嫌われている訳ではなかったのか。そう思ったら、ふっと肩から力が抜ける。どうやら自分も無意識に緊張していたようで、その事に関してはお互い様みたいだと笑みが零れた。


「そっか…なら、もう気兼ねなく話してくれるよな?一緒に鍛錬もしてくれる?」

「ええっ勿論!馬超殿のご希望とあらば、何でも致しますよ!」


今までぎこちない姿しか見れなかった趙雲殿の、満面の笑み。それが嬉しくて此方の頬も緩んで仕舞う。これからはこんな表情がいつでも見られるし、英雄の槍捌きを直で体感出来るのだ…ああ、楽しみだn



「だって私達、恋人同士ですから!」




…………



ん?


ちょっと待て。なんだか今、場違いな単語が聞こえたような…


「え……と、趙雲殿? 今何て…」

「ああ、良かった…。愛の告白なんてした事がなかったから、断られたらどうしようかと思ってたんですが…
 相思相愛だったんですね、私達!!!」


アイノコクハク?
ソウシソウアイ?

――いや、意味が分からない。
どこからそんな話になったんだ?だって俺は趙雲殿のことを尊敬してるって言っただけで、好きだなんて一言も…ひとことも…



い、 言 っ た ! ! !





「え!??ちょ、待ッッ

「これからはずっと一緒に居ましょうね?だって私と孟起は恋人なんですから!」


違うっ!そういう意味じゃない!そういう意味じゃなかったんだ趙雲殿!!ていうかさり気なく字呼びをしないでくれ、そしてそんな笑顔をされたら否定出来ないだろうが卑怯だぞ!!




…なんて心の叫びが届く筈もなく、結局俺は、趙雲殿の恋人という誰もが羨む地位を無意味に得て仕舞ったのだった。






……これからどうすれば良いんだよ…。

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