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自分をゴミクズ野郎だ、と躊躇なく本音で言えるような野郎がヘラヘラと同じ空間に毎日いたらどうする? 自分に値打ちを見いだせない奴は大抵、他人を過大評価するものだが、それは一方で自分自身の責任を取らないことを示している。 自己嫌悪は誰でもするものだが、ネガティブな内面を他人にロクにも見せず内側で増大させてる奴は危険だ。 卑屈になるというのは、他人に構って欲しい態度であり、それ自体が自己嫌悪を増進させる。だから卑屈なところは見せない。 そんなの負のスパイラルで、結局その人が何らかの幸せや希望を感じて抜け出すしかない。 人間誰だって自己嫌悪はするが、それは一生の間ずーっとではない。 自己嫌悪も、楽しい時も、時期的なものだ。人の心の状態というのは本来は常に変化し続けるものだ。 味気ない日常を送っていると、そういった変化が無くすーっと下降していく心、というのもあるのだろうが、それだって時期的なものだ。 自分に能力が無く、人から迫害を受けてそうなってしまった人間。 僕はそういうタイプではない。だからこそ、余計に自分が嫌なのだ。 そうならない手もあったはずなのにそれを実行しなかったこと、今も実行しないこと、できないこと。 何か仕方ない理由がないこと、言い訳が立たないこと、それを気にせず堂々と毎日を生きてしまっていること。 常に慰めを求めていること。 どれを取っても嫌なものは嫌なのだ。 いずれ僕もまた、この時期を脱するのかもしれないが、それはあったとしても、当分先のことになりそうだ。 こんな、重く、冷たい感情を心に抱えたまま何年何十年とこの先生きていくのかと思うと、それこそ嫌になる。 本当に疲れる。死んでしまいたいとは、こういうことなのだろうか。 死ねば人に迷惑がかかる。今までの人生の意義性が無くなる。 せめて自分のマイナス分をチャラにするぐらいはしてから死んでいきたいと思う。だから死なない。死ねない。 そんな理屈ごと抜きでも、本来僕は死ぬ勇気など無い人間なのは重々承知の上だが。 目標さえあれば、支えにも目標にも理由にもいずれかでもなってくれる人がいれば、 もっと機会があれば、あの時こうしていれば、何か劇的な転機があれば、 そういう言い訳は、もう言い飽きた。最低な言い訳だと思う。人のせいにするな。 自分のことは、自分でどうにかしろ。欲しいものがあるなら、自分で手に入れろ。子供じゃないんだから、甘えるな。 今日も僕は自分に説教する。お前に言われたくないのは分かってる、そういう説教。 言う方も、言われる方も、資格の無い説教。これが意味を持つとすれば、それは僕が変わる時、なのかもしれない。
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