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カツカツカツ 無人の電車に、足音が鳴り響く。 それは別段特別な事でもない。気に留める事も無く、平和島静雄は歩き続ける。 普段は人で溢れかえる車内も、今はシンと静まり返っている。 微かな酒気の匂いはすれど、車内は平穏そのものだ。結構な頻度で、その酒気の主――簡潔に言うなら、酔っ払い――に、出会う事もあるが、結局の所放り出してしまえばいいだけの話である。静雄は、酔っ払いに絡まれて怯む程軟弱ではなかったし、なによりもう、慣れてしまった。 最終電車が車庫に入る前の、最後の見回り。 それが、彼にとっての一日を締めくくる 仕事であった。 カツカツカツ 靴音は、静かに主張し続ける。 時刻はもう、午前2時を回っていた。今夜は珍しく、本当に無人らしい。 最終車両で、一つ息を吐いた。長い一日が、ようやく終わりを告げたのだ。 静雄は、ためらいもなくポケットから取り出した煙草に火をつけた。年季が入った緑のシートに腰をかけ、ゆっくりと煙を吐く。転がっていた空缶に灰を落とせば、一日の終わりを飾る休息の完成だ。 「いけないんだ」 そんな声が聞こえて、静雄は眉をひそめながら辺りを見渡す。 己の、駅員にあるまじき姿を見られての動揺ではない。どう考えても、有り得ない声が聞こえたからだ。 「しゃないは きんえんって、かいてあるのに」 また、同じ声。 それは、この時間に聞くには、あまりにあどけない声だった。 所々舌が回っていない、幼子独特の話し方。 「ガキ…?」 視線を落とし、静雄は呟く。 そこには、シートに座り込んだ静雄の腰の辺りまでしかない身長の子供が立っていた。"ガキ"という言葉に、不服そうに瞳を細めながら。 「迷子か?」 「ううん。いえで」 「…お前、意味分かって使ってんの?」 「おれ、でんしゃにすむんだ」 ニコリと笑った子供は、それはそれは愛らしかった。 顔だけは。 ふてぶてしい態度と、図太い神経は、とてもじゃないが可愛い、などとは称せない。 「………ハァ。仕方ねぇな。付いてこい」 「―――うんっ!」 静雄は後、子供を詰所へ連れて行く事に決めた。 それは駅員として当たり前の判断であったが「付いてこい」と言った時、子供がやけに嬉しそうに返事をしたのが、不思議だった。 やはり心細かったのだろうか。頭を撫でてやれば、子供は瞳をぱちりと見開き、それから蕩けるように微笑んだ。 (………可愛い) 今度はもう"顔だけは"とは思えなかった。 カツカツカツ ひょこひょこひょこ 変わらぬ足音に、頼りない足音が追加された。 静雄とは歩幅が比べ物にならないので、自然子供は急ぎ足となる。 「しずちゃん」 「…誰だそりゃ」 「?」 首を傾げながら、ピシっと指さされてしまい静雄は思わず足を止めた。急停止についてこれなかった子供が、わわっと悲鳴をあげながら足にぶつかってくるが、気にしない。 確かに先程、この子供の名を聞く際に、一方的なのもどうかと思った静雄は己の名を名乗った。しかし、このようなふざけた呼び名を許可した覚えは、一片たりともなかったはずだ。 「……俺のどこを見れば、そんな女みてぇな呼び方が出来るんだ?」 「だって、しずちゃん かわいいもん」 「はぁ?!」 「いっつも、えきめい つっかえてよむの。おれ、しってるもん」 「………………いつもじゃねぇよ」 「うん、3かいに2かいくらいだね」 「…………」 それからは、ただただ無言で歩き続けた。 ひょこひょこと続く足音が、遠くなった事にイラついた静雄が子供を抱えあげると、子供はやはり嬉しそうに笑った。 「おれ、でんしゃにすむんだ」 「さっき聞いたよ」 「そんで、しずちゃんとずっといっしょにくらすの」 「……あ?」 「だっておれ、しずちゃんがすきだから いえでしてきたんだよ」 電車の中にいれば、会えると思った。そう笑う子供は、ぎゅっと静雄の服を掴む。 "放さないよ" そう言わんばかりの、仕草。 この時になってようやく静雄は――自分が、酔っ払いより数段タチの悪いモノに絡まれてしまった事に、気付いたのだった。 end
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