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経歴 父はフィリピン人、母はギリシャ人で、幼い頃に両親が離婚したため、双方の家を行き来しながら育った。長じてボディビルを志すが、断念。酒場の用心棒として働きながら、元プロレスラーの「ザ・サモアンズ」アファ・アノアイのもとでプロレスのトレーニングを始めたのは二十代後半になってからのことだった。 プロレスデビューは31歳。リバイアサンというリングネームで、WWE下部組織のOVWに所属していた。2002年5月のWWE昇格後、リングネームを現在のものに改名し、当時宣教師のギミックをしていたディーボン・ダッドリーの用心棒として、SmackDown!に登場した。同年11月、RAWに移籍。2003年春、トリプルH率いるエボリューションに加入するも、負傷により約半年の欠場を余儀なくされたが、復帰後はリック・フレアーとタッグを組み、WWE世界タッグ王座を二度獲得。2003年末から2004年春にかけてのエボリューションによるRAW内タイトル独占に貢献した。 OVW時代より一貫してヒールだったが、2005年に入り、ロイヤルランブルで優勝。ベビーフェイス・ターンを果たし、レッスルマニア21にて当時王者であったトリプルHを破って、世界ヘビー級王座を獲得した。その後、バックラッシュ、ヴェンジェンスと、三回連続でトリプルHに勝利。ヴェンジェンスではWWEの試合形式では最も過酷とされるヘル・イン・ア・セル(究極の金網デスマッチ)を経験している。 同年に行われたドラフトにより世界ヘビー級王座を持ったままSMACKDOWN!に移籍し、早速JBLと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げ、サマースラムにてJBLを下し、王座を守り抜いて見せた。 そして10月、ノー・マーシーにてエディ・ゲレロと防衛戦を行い、見事勝利。その後もエディとの微妙な関係が続いたが、同年11月13日のエディの死去をもってエディとのストーリーは終結している。 2005年11月に行われた、RAWのPPVタブー・チューズデイでは、直前にWWEを退団したストーン・コールド・スティーブ・オースチンの代役として急遽出場した。 2005年のサバイバー・シリーズにて行われるRaw対SmackDown!の前面対抗戦において、SmackDown!側の主将を務めるが、11月のSmackDown!収録時に登場したRaw所属のケイン、ビッグ・ショーのダブルチョークスラムを受けた際に背中の筋肉断裂の重傷を負った。重傷を負いながらもWWEの興行には参加し続けたが、2006年1月に行われたハウスショーにおいて、マーク・ヘンリーとの試合中に上腕三頭筋を断裂。長期休業に入らざるを得なくなったため、涙ながらに世界ヘビー級王座を返上した。手術の成功後はNo Way Out、WrestleMania等に登場、順調な回復をアピールしている。 7月7日、SmackDown!にて復帰。The Great American Bash 2006でヘンリーと対戦する予定であったが、Saturday Night's Main Event XXXIIIでヘンリーが怪我をして離脱した為、対戦相手がケン・ケネディに変更された。 2006年8月20日のSummerSlamでキング・ブッカー(ブッカーT)と戦ったが、王座復帰はならず。 得意技 バティスタ・ボム(シットダウン・パワーボム) クローズライン スパインバスター タイトル履歴 WWE 世界ヘビー級王座 : 1回 (2005年4月3日レッスルマニア21でトリプルHに勝利し、獲得。) WWEタッグ王座(&レイ・ミステリオ : 1回) 世界タッグ王座(&リック・フレアー : 2回) 2005年ロイヤルランブル優勝 OVW OVWヘビー級王座 : 1回
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