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大学卒業後スポーツ用品メーカーに勤めながらボディビルを行っていたが、プロレスラーに転向。インディ団体での活動後WWEと契約。WWE傘下のファーム団体、OVW時代はザ・プロトタイプのリングネームで活動。 2002年、SmackDown!にて、1996年のアトランタオリンピック金メダリストであるカート・アングルとの対戦でWWEデビュー。 ラッパーを模したギミックでいつも過激なマイクパフォーマンスでファンを魅了する。キメ台詞は「Word Life(これマジ)」「You Can't See Me(お前なんか見えっこねぇ)」。日本公演で来日した際にコーヒー牛乳が気に入り、2005年7月のハウスショーでの来日公演では、マイクパフォーマンスでも取り入れていた。WWE登場初期は、その過激なマイクパフォーマンスからヒールであったが、人気の高まりとともにベビーフェイスに転向。 2004年、ビッグショーからUS王座を奪取する。 2005年、2月に行われたPPV No Way Out 2004の挑戦者決定トーナメントで、カートを破り、ついにWWE最高峰の王座であるWWE王座への挑戦が決定。4月3日に行われた、WWE最高峰のPPVWrestleMania 21で王者JBLと対決し勝利、WWE王座を獲得。 WrestleMania後もJBLとの抗争は続き、5月のPPVJudgment Day 2005ではJBLとの「I Quit Match」に勝利し、WWE王座を防衛。 また、音楽業界にも参入し、ファーストアルバム「You Can't See Me」を発売した。 同年6月、ドラフトによりRAWに移籍した。WWE首脳陣からは、これからの飛躍がますます期待され、WWEになくてはならない一人と目された。そのためRAW移籍後もRAWのスーパースターと次々抗争を繰り返していくことになる。 移籍後はRAWのGM(当時)のエリック・ビショフとの抗争を経てカート・アングル、デバリらと抗争した。しかしながらシナの絶対的ベビーフェイスに対してブーイングを浴びせる観客も多かった。 特に2006年にイリノイ州シカゴで行われたWrestle Mania 22では、年に一度の大舞台で本来ベビーフェイスとしての登場だったにも関わらず、心無い観客達からはヒールであるトリプルHに声援が送られ、シナが登場すると観客達はブーイングをあびせた。 2006年1月のNew Year's Revolution 2006にて、長期保持してきたWWE王座をエッジに奪われた。エッジにタイトルを奪われてから、再びWWE王座獲得前の強大な敵に挑むスタイルに戻り、人気も戻りつつある。しかし、この頃からファンのブーイングもギミックの一つと見なされるようになっている。 Royal Rumble 2006では、再戦権を行使して再び王者のエッジと対戦。隙を突いてF-UからのSTF-Uを極め、エッジがタップアウト。王座奪回に成功し、実質的にWrestleMania 22におけるRAWのメインイベントへの出場権を獲得した事となった。WrestleMania 22のメイン戦ではトリプルHと王座戦を行い、STF-UでトリプルHをタップアウトさせて防衛。Backlash 2006では前WWE王者のエッジ、トリプルHとトリプルスレット戦で対戦したが、ここでも防衛に成功した。 WWEvsECWの抗争が始まると、その年のWrestleMania 22で行われていたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチを制し、1年間に1度だけ有効の挑戦権を手に入れたロブ・ヴァン・ダムが挑戦権を使用し、ECW One Night Stand 2006でシナに挑戦すると宣言。迎えた防衛戦では乱入したエッジのスピアーを受け、それによってロブ・ヴァン・ダムにWWE王座を奪われてしまった。 王座移動後もシナはECWのレスラー達と抗争。Vengeance 2006でサブゥーと対戦し、タップアウト勝ちを奪った。その後はWWE王座を巡って再びエッジとの抗争を繰り広げている。 必殺技 F-U(デスバレーボム) ファイブ・ナックル・シャッフル STF-U(STF) スローバック (変形フェイスクラッシャー) 決めセリフ Word Life You can't see me タイトル履歴 WWE WWE王座:2回 US王座:2回 OVW OVWヘビー級王座:1回 OVW南部タッグ王座:1回(&リコ:1回) UPW UPWヘビー級王座:1回
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