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チェリーブロッサムの夢 第二話 2. 白い廊下へと射し込む、硝子(がらす)越しの暖かな秋晴れの日差し。午前の光は目に痛かったが、その先に居る人物の後ろ姿に自然と顔は弛(ゆる)んだ。 「──おはようございます、ネコくん」 直ぐ後ろにまで迫っても、こちらの様子に気が付かない警戒心の薄さに少し呆れつつ。自分の声に気が付いて驚いた様子で振り返り、視線が合うと同時に相手はパッと顔を綻(ほころ)ばせる。何がそんなに嬉しいんだ、とは思いつつも。まあ、悪い気はしないものだ。 「おはようございます。すみません、ぼーっとしてて」 「寝不足ですか? あんまり無防備にしてると危ないですよ…?」 「あはは。すっ転ばないよう気を付けます!」 「……、そうですね。不意打ちとか奇襲には気を付けて」 「え…」 ──ドサドサ、カランッ……… 優人(ゆうと)の抱えていた腕の中から、次々と厚い書物やバインダーやらが滑り落ちて。ペンケースから飛び出した万年筆がコロコロと足元を転がった。 「───危ないですから。…ね?」 イノセントの腕の中、しんっ…と黙り込んで言葉を無くした優人の様子に構わず、更にキツく抱き寄せる。相手が例え、戸惑っていようが驚いていようが……自分に恐怖していようが。大して差し支えはない。──目が覚めてから、あれからずっと、自分は“こいつ”に“こうしたい”って思っていたから。拒絶されようが抵抗されようが、今の自分がこうしたいからこうするってだけで。…深い意味はない筈だが、チリチリとまたユラユラと。燻(くすぶ)る炎のように、押し殺した情欲は不意に溢れ出しそうになる。優人を抱く腕にまた、無意識に力が籠(こ)もる。 「…ぷっは、苦し──。朝の“おはよう”のハグです?」 もぞもぞと身動(みじろ)いで、優人は一つ息をつく。自身の背へとふと触れるものがあり、イノセントは思わず瞬(またた)いた。 「イノセさん、いちいち力も強いし少し大袈裟だから。てっきり、締め殺されるのかと思いましたよ?、俺」 気持ち背伸びをしながら、優人はイノセントの鎖骨辺りへ顔を擦り寄せ、縋(すが)る。 「──嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいから。あんまり余所(よそ)でやっちゃダメですよ…?」 優人側からの思わぬハグのお返しに、イノセントは柄(がら)にもなく素の表情が出そうになる。今現在、自分が戸惑った顔をしている事へと遅れて自覚し。イノセントは左手を大きく広げると廊下の天井を仰ぎつつ、慌てて自身の顔を覆った。 (───こっちは、純粋な下心だっつーに……) 覆った手にジンワリと顔が熱いのが分かった。廊下の窓に映った自分は、“らしくない姿”を惨めにそこへと晒(さら)している。 (だっせ…) 耳まで熱い…、こんな事は前まで無かった。 「はあぁ〜〜……」 自分でも思わず、溜め息が洩(も)れる──。 「終わりですか?」 「──終わりですよ、もう…」 弱くて強い、その緩んだ“拘束”から逃れて。イノセントはその場に屈み込み、本らを拾って埃(ほこり)を払った。 「あ! ありがとうございます」 イノセントの一連のそれらに全く気付く事もなく、優人は自身もしゃがみ込んでペンケースの中身を拾う。万年筆を拾い上げながら、ふと…。 「あれ? ねぇ、イノセさん」 「何です」 「あ、やっぱり。今日はそっちのイノセさんなんですね」 「はい…?」 こちらを首を傾けて覗き込む優人に意図を取り兼ねて。イノセントは無言で優人へ視線を返した。 「“オラついてない”イノセさんって、久し振りじゃないですか?」 目許(めもと)を細め、悪戯(いたずら)っぽく優人はこちらへと笑い掛ける。 「……………」 何を言い出すのかと思えば…、と。イノセントは呆れたように息を吐き出し、ムッとした表情をつくり、眉根を寄せて再び相手を見た。 「──機嫌いいです? 何かイイ事でもありました??」 クスクスと笑って、優人はこちらへと無邪気な笑顔を向けてくる。 「別に…」 …何がそんなに可笑(おか)しいんだ、と。イノセントは拾い集めた物たちを優人へと黙って差し出した。 「あ、ありがとうございます!」 本らを受け取り、閉じたペンケースと共に抱え直すと腰を上げる。同じく立ち上がったイノセントを笑顔で再び見上げて、それからスマホ画面の時計へと目を落とした。 「何か予定でも?」 「はい。これから先生のとこ行かなくちゃで───」 歩き出した優人に歩幅を合わせるが“残念な気持ち”と“行かせたくない”という本心が、どうしても前面に出てこようとする。イノセントの足が静かに止まる──。 ──つんっ…、と弱く。セーターの腰辺りを引かれ、優人は後ろを振り向いた。 「はは。なに、可愛い事しちゃてるんですか───イノセさん」 …まるで、小さい子供のように。自分を引き止めるイノセントの姿に、優人は失笑を零(こぼ)す。祟場(たたりば)にどやされるであろう事は直ぐに頭を過(よ)ぎったが。それ以上、足を踏み出す事ができなかった。 「どうしたんですか? 黙ってちゃ分からないですよ?」 「─────、」 イノセントのプライドの高さなら知っている。幾(いく)ら待とうが、この問いに答えは返ってこないだろう。──それでも。俺だって、“貴方の本心”を“貴方の言葉”で知りたい…。ほんの僅(わず)かな期待を抱(いだ)いて、優人はイノセントに背を向けた。 ──トンッ 軽い衝撃が背にあって、絡みついてきた長い腕に笑って目を閉じた。 「…狡(ずる)いなあ──、」 相手の腕へ触れて、小さく零した。マナーモードの短い着信音が低く廊下に響く。 「ねぇ、イノセさん。俺、もう行かなきゃ……」 背後の相手から返事は無い。 「……俺がイノセさんの事、振り解けないって分かってるんでしょ…? ねぇ──」 ((いっそ…、どっかに連れ去ってくれたらいいのに───なんて。こんな、少女趣味な馬鹿な事、思っちゃってるのにな…。教えないけど……)) 「もし、先生が来たら。一緒に謝ってくださいよ?」 「……………………」 「置いて逃げたりなんかしたら、許さないですから……」 「お前、シャンプー変えたか?」 「……はい?」 ──スンッ、…… 「やっ…、ちょっと! な、何ですか、急に…!? は、恥ずかしいですからっ! …かっ、嗅(か)がないでくださいよ、勝手に──!??」 もだもだと途端に抵抗を始めた優人を押さえつけて、匂いの出処(でどころ)を容赦(ようしゃ)なく執拗(しつよう)に探る。 「………スタイリング剤?」 「…え?? ……整髪料、なら。多少は、つけてますけど…」 「前まで、つけてなかったろ。色気づきやがって……」 「俺の勝手でしょ!? 最近、髪が広がって大変なんですから!!」 「元からだろーが」 「知ってますよ! ──だから。纏(まと)めるのに毎回、苦労してて………」 「ったく、またアンタか───」 色気も素っ気もなく、単にただギャーギャーしていた所を祟場へと見つかった。 「センセェ…!! イノセさんが急に絡んできて、俺の事いじめるんですけどっ!! 助けてください!!」 「はあッ?! 虐(いじ)めてねぇーだろうが、別にィ!?」 「さっきから放して欲しいのに放してくれないし、ヤダって俺言ってんのに全然やめてくれないじゃないですか、だって──!!」 「…そりゃ、お前がっ……!!」 「あーあー、ハイハイ」 ぼっす、と音を立てて。祟場は手にしていたA4ファイルでイノセントを優人から引き剥(は)がす。 「優人も優人だがアンタもアンタだ。いち魔王が、こんな朝っぱらから。どーせまた、下心あっての魂胆(こんたん)だろ? 何にせよ、その持て余した性欲の矛先を優人へ向けんな。この変態魔王が──」 「…んだと、この腐れ眼鏡──!!」 いつもなら止めに入る優人も、今回ばかしは被害者面してイノセントをジトッと睨(ね)めつけている。どうにもこうにも分が悪い。 「──アンタも忙しいんだろ? こんな所で油売ってていいのか?」 「うるせぇー! 俺に説教すんじゃねぇ!!」 祟場は純粋に不服さを訴えかけて、無言でファイルにて自身の肩を軽く叩きながらイノセントを見遣る。見てくれは教師か研究員といった所だが、視線が素のガラの悪さを語っている。…この、エセ教諭(きょうゆ)が──とイノセントが吐こうとした時。 「こいつも、いっちょまえにもう忙しいんだ。次の任務先が決まって、今は準備期間なんだよ。“時幻党(ここ)”に居るからって暇な訳じゃあない。…憂(う)さ晴らしなら他を当たってくれ」 「……………」 一つ舌打ちをして、腹立たしさにそっぽを向く。その横で祟場は、今まで手にしていたそのファイルを優人へと手渡す。 「…これを渡しときたかったんだ。あとは自分で探して調べるなりして一人でやれるな?」 「……。はい、大丈夫です。わざわざ、すみませんでした。ありがとうございます」 「ん」 パラパラと何やら資料らしきファイルに目を落として捲(めく)り、顔を上げると祟場へと応じた。 「───次は、何処に行くんだ?」 資料を見直す優人の肩へと肘(ひじ)を置き、捲られるページの文字たちを何となく目で追う。 「“無限戦争世界(エンドレスウォーズ)”です」 「エンドレス〜?」 「少々、治安の悪い所みたいですけど。白羅(ばくら)さんが動けない今の内の方がいいんじゃないかって話になって。あんま初心者向けじゃない感じなんですけど、そうも言ってらんないかなーって」 「────…、」 パタン、と優人はファイルを閉じる。 「俺、このまま書庫室に行ってきます。書斎(しょさい)の鍵、貰えますか?」 「…その事なんだが。これからは、お前も頻繁(ひんぱん)に足繁(あししげ)く通う事になるだろう。合鍵を作って置いたから、これはもう返さなくていい。無くすなよ」 「はい。ありがとうございます」 祟場から鍵を受け取る優人の様子を無言で眺め、イノセントは静かに優人から離れると一歩後ろへと退(ひ)いた。 「あれ? イノセさん…??」 長く白く伸びた廊下には、先にも後にも祟場と優人以外、誰の姿もない。 「ようやく、この場の空気が読めたんだろ。何も気にしなくていいさ、お前は」 「………」 優人はイノセントの消えた廊下の先を無言で見遣った。
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