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◆バイオグラフィ
赤池立弥、甲府市出身。
作曲家名、甲斐たつや
作家名、江戸川龍之介
ヤマハミュージックスクール
ドラム講師、ウクレレ講師、バンドコース講師
日本音楽著作権協会準会員
◆音楽歴◆

◆5才の頃、月を見て感動、月という曲を作曲。

【小学生の頃】
◆エレクトーン教室に通う。
◆テレビ番組、「ご家族登場」で音楽一家として出演してドラムとエレクトーンを演奏。
◆小、中学校連合音楽会で大太鼓担当。
◆ドラムは兄からボサノバ、8ビートを教わり、ギターは3千円で購入ギタリスト志村氏に師事、ベースは兄の友達の村松氏の練習を見て覚えた。

【中学生の頃】
◆兄、通弥と共にロックバンド「オーディン」を結成。ヤマハ、サンスイなどのバンドコンテストで優勝。地元テレビ、ラジオ、イベントに多数出演する。
◆学校ではギタークラブでフォークグループを結成、初オリジナルを学園祭で唄う。同時に合唱部の先生にスカウトされ入部、NHK合唱コンクールに出場、県大会準優勝。
◆中学2年の夏休み、西部デパート屋上でドラムの仕事。
◆オーディンのワンマンコンサート開催。
◆14歳:兄と演奏の仕事を始める。

【高校の頃】
17歳:兄が当時、日本最高峰のロックバンド、カルメンマキ&OZに加入したため、ハウスバンドのバンマスになる。この頃、尾崎紀代彦や山本リンダなどの歌手、数百人のバッキングを、ベースとドラムで経験、初見力など身につける。
◆高校では軽音同好会を創部、森田健作に影響され青春に燃える。フォーク同好会部長兼任。
◆マキOZのベーシスト川上茂幸氏とセッション、その後、バンド加入を川上氏から要請されるが、家庭の事情で後の24才の時に加入。

【20代】
◆ジャズドラマー、岸田 恵二氏に師事する。
ドラマー、市原 康氏に師事する。
◆ヤマハ音学院にオーディションを経て入学、ジャズドラマー小津 晶彦氏に師事する。ピアノを八幡邦章氏に師事。
◆ヤマハポプコンオーケストラに加入。
◆ポプコン最後のゲストで、ラニー・ラッカー氏と出演。
◆バークリー音楽院の合宿に参加、トミー・キャンベル氏に師事、スカラシップを授与される。
◆合歓の里、合宿でニューヨークのスタジオミュージシャン、リック・マロッタ氏にドラムチューニング、グルーブタイミングを教わる。
◆木曜サスペンス劇場。桃井かおり主演のドラマにドラムで出演。
◆元カルメンマキ&OZの川上氏のバンド、「リサズ」に加入。
◆ヤマハ音学院副科ドラム講師兼アンサンブルスタッフ。
◆夏木晴美、小林千絵、辛島美登里、檜せいら、のバックバンドに加入。
◆銀巴里のピアニスト小泉氏のバンドに加入。
◆クリスタル・キングのオーディションに合格するが、思う所あり加入せず。リーダーのムッシュ氏は最高の人柄で今も尊敬している。
◆池袋でジャズバンドのリーダーとして2年間演奏。
◆ジャズギタリスト細野義彦氏にギターを師事。
◆ヤマハ、ドラム、バンドコースの講師。
◆病気で倒れ、眼が一時的に見えなくなるが回復。その影響でドラムの仕事を減らし、かねてからの夢であった作曲家を目指しデモテープ作りを始める。
◆有線放送作曲オーディション合格、オンエア。
通信カラオケ音源制作始める。
◆オリコンのコンテスト、作曲部門でトップ合格。
◆ドクター中松氏の選挙イメージソングをオリコン故小池社長の作詞で制作。
◆ユタカプロダクションに作曲、音源制作で所属。
◆パーフェクトTV「サムライチャンネル」オープニング作曲。
◆CMソング「白いカーテン」作編曲、音源制作。
◆キングレコード、真木由布子「流氷恋唄」作編曲、音源制作。約10万枚セールス。
◆キングレコード「あのうたをもういちど」
◆北本市市制30周年記念曲「JUSTFEELING」作編曲、音源制作。
◆文化放送、オリコン小池社長パーソナリティのラジオ番組のテーマソング。
◆東京海上火災120周年記念番組のテーマソング。
◆ボカスカジャン、ファーストアルバム、編曲、音源制作。
◆オリコンエンターテイメントカレッジ作曲コース講師。
◆千葉裕子「ALIVE」作編曲、音源制作。
◆KAZUMA「Come to Life」作編曲、音源制作。
◆ヤマハ、ウクレレ講師就任
◆THE CARDYNAL ROCKS で活動。
◆津田昭治氏にウクレレを師事。
◆講師バンド High Noon Thuseday に参加。
◆JASRAC日本音楽著作権協会准会員。
◆大人のバンドセッションの審査員

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