「夜が明けなくても時間は来る。(似山)」
あたたかい。
人肌のぬくもりがこれほど気持ちいいものだと、山崎は知った。
それを知って以来、離れられなくなる。
ふっと目を覚ます。
寝静まった時刻という以外、正確な時間が分からない部屋。時計が置かれていないこの部屋の主は、時計を必要としない人。
遠くで、居間に掛けられている柱時計の鳴る音が静かに聞こえる。
一つ、二つ、三つ。
四つ目の鳴る音に今の時刻を知った。
ゆっくりと目を開けると、闇の中。
身体を包むぬくもりが、再び眠りの世界に落とそうとする。
イケナイと思いつつ、ぬくもりの方へと身を寄せた。
『寝てる…かな』
そっと視線で伺う。山崎の身体を抱き締めて腕枕で眠るもう一人の男。
常に閉じられている瞼を見詰めると、微かな動きすらない。
一定のリズムで刻む呼吸と心臓の音が、触れ合っている身体から伝わる。
『ずっと、腕枕してくれてたんだ…。起きたら痺れてるだろうなぁ』
この頭を預けている右腕が、人の物でない事も今では知っている。
名前も、素性も、知ってしまっても尚こうして遭う事を許してくれた人。
眠る男を見詰めながら、山崎はしみじみと思った。
『人斬り…なんだよなぁ、この人』
江戸で辻斬りと騒がれた張本人。
幕府のお尋ね者、岡田似蔵。
己の職務を全うするならば、今ここで寝首を掻くことも出来る。いや、しなければならない存在。
人の気配に敏感な男が、こうも気を許し寝姿を晒す事の意味を、山崎は考えてしまうのだった。
『相手が俺だから、こんなに無防備になれるのかな?。それだけ信頼されてるって事なのかなぁ…。もしそうなら、何か…裏切れない』
信じてくれる相手を、裏切れない。
以前の自分なら、職務の為に平気で他人を利用した。それは今でも変わらない。しかし、心のどこかで後ろめたさを拭え切れなくなっている。
負い目を背負うことの重さを、知りつつある。
この暖かさを知ってから。
『でも何時からケリを付けなきゃいけない。この人と…斬り合わなきゃいけない日が、絶対来るんだ…。だから、それまでは…今のままで居たい』
出会ってから今まで、考えない日は無かった。
この関係が永遠ではないことを。
何も知らないままに育んだ互いへの慕情が、全てを知った今でも二人を繋いでいる。
『似蔵さん、貴方は俺を…俺たちの関係をどうしたいんですか?。どうすれば、悔いの無い終わりを…』
終わりを、求めてしまう。
自然とこみ上げる切ない感情が涙となって溢れる。
縋り付く様に似蔵の胸元に身を寄せた。
『ずっと…夜が明けなければいいのに…』
スン。
山崎の額に似蔵の鼻が触れる。
スン、スン。
匂いを嗅ぐ似蔵の癖。
そして伝わる気配の変化に、似蔵が目を覚ましたことに気付いた。
もぞもぞと動く似蔵の腕が、山崎の身体をなぞってゆく。そして更に抱き寄せる。
「おはようございます」
「ん、起きてたのかい」
「もう、行かなくちゃ…」
「夜が明けたら帰るんだろう?」
「はい」
心地よい人肌を分け合う二人。視界を覆う暗闇の中で、確かなものは触れる互いの存在だけ。
二人きりのこの瞬間がずっと続くのならば、不安と切なさで涙を流す事もないのだろうか。
山崎の濡れた目尻に似蔵の唇が触れる。
「坊や」
「はい」
「このまま…朝が来なければ、イイのにねぇ」
「あ…」
山崎の目元から鼻先へ、そして探るように流れる似蔵の唇が山崎の唇へ辿り着く。
「…ん…」
口付けを繰り返す。
迫る夜明けから逃れるように、二人は身を寄せ合う。
「次は、何時会おうか?。それとも俺の方から出向いてみようかね」
「たまには外で会うのも、イイですね」
「勿論、仕事の話は抜きでさね」
「でも。邪魔しそうな奴が一人いるし」
「そうだったねぇ」
クスクスと笑う。
次の約束が出たことで、今日はもうお仕舞いという合図。
漆黒だった星空が、東から紫色に染まりその後に日の光を滲ませ始めていた。
例え夜が明けてしまっても、時が過ぎればまた夜は来る。
山崎は静かに身を起こし、帰り支度を始めるのだった。
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